自分自身を罰する事に関して②(追記あり)



☆コチラ☆からの続き。


あと、ジェラシー(J)がある人の場合は、
(母はあたしにJがあるかわからないけど、でもなんかしなくもないけれど・・・)

相手は何も悪くない、
相手に「罪」というものがないのをわかっているからこそ、

自分に罪があるからといって、
過去世も含む罪を感じるような事を自分がしたからといって、
それを(自分に罪がある事を)許せなくて、

何も悪くない人、罪というものがない人、存在を悪者扱いする(許せない)んだと思う。


昔、石油ストーブの灯油を配達してもらっていた灯油屋さんから貰っていたカレンダーに、
名言みたいな言葉が月毎に書かれてあって、

どなたの言葉かは書かれてなかったけど、
言葉はちょっと違うかもしれないけど、
「過ちを改めざる、これを過ちと言う。」
って書かれてあった。


あたしはクリスチャンではないけれど、
昔あたしが通っていた保育の専門学校は、キリスト教で、

キリスト教に関する授業中に、
イエス様は、人間の罪をあがなうために犠牲になって下さった(なられた)。
って言葉を聞いた事がある。


これは聖書に書かれてある言葉なのか、
それとも聖書には書かれていないけれど、
キリスト教の中ではそういうふうに言われているのか、どうなのかは、
あたしはわからない。


この言葉は専門学校を卒業して何年経っても、なんとなく記憶に残ってた。

専門学校を卒業して何年か経ったある日、この言葉を振り返っていたら、納得がいかない気持ちになった。

授業でその言葉を言っていた先生に対しても、
納得いかない気持ちがあったのかどうかはわからない。


2012年にあたしが2回目に伺った、
Aliceさんの個人対面セッションの際に、
あたしは「犠牲」に関するご相談をした。


お話の流れであたしは、
イエス様は、人間の罪をあがなうために犠牲になって下さったってよく言えるなと思って。
という事をお話した。

そしたらその時、
Aliceさんにエネルギーやメッセージが届いた(やって来た)感じのご様子だった。

そしてAliceさんから、
「それは無知な人間による、彼に対する言い訳」
という事を伝えて頂いた。


この時の個人対面セッション中に、
Aliceさんが伝えて下さったメッセージをメモしたノートを確認してみたら、

「無知な人間により、彼に対する言い訳」
ってあたしがメモしたノートに書かれてあった。

これは、
「無知な人間による」を「無知な人間により」
ってその時のあたしが書いたのか、

それとも、
「無知な人間により」と「彼に対する言い訳」の間には他の言葉も入っていて、
あたしがメモするのが間に合わなくて、書ききれなかったのかは、わからない。


お話は戻って。


あたしは、
イエス様は犠牲になる必要はひとつもなかった。
って感じた事があるし、今でもそう思う。


お話は変わり、
(でもきっと繋がっていると思う)

あたしが小学生の頃に、
ある男の子から受けた事がある、言葉のいじめの経験を振り返りながら最近思った事が、
(ずっと下書きで書いていたから、最近ではないけれど)


イエス様は過去犠牲になられたけれど、
過去に、イエス様を犠牲にした当時の人間達の潜在意識の中では、

当時、イエス様が犠牲になってる姿から、自分(自分達)が愛されてるとでも思ってたのかな?

愛されてるかのような感覚にでもなっていたのかな?って、
まだよくわからない部分もあるけど、
そういう事をなんか思った。


そしてある日あたしは、
実際はわからないし母とはまた違う種類かもしれないけれど、個人的に思った事が、

当時イエス様に対してヒドイ事をした(十字架にかけた)人間達は、

もしかして、
自分を罰するために当時イエス様に対して、あのような事をしたんじゃないか?
って思うようになった。


当時の人間達は、
自分を罰して神様から愛されよう許されようとするために、
過去イエス様にあのような事をしたんじゃないか?
ってあたしの世界で、いつの間にか思うようになった。


☆コチラ☆へと続く。


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