数多くの人と同じであろうとしていた事がもう、自分を罰していた。
あたしが子どもの頃の託児所での出来事で、
託児所の経営者らしき人から、
自分(自分達)とは違う事が許せないってジェラシー(J)や、
自分(自分達)とは違う事への恐れを抱かれて、
悪くないのに悪者扱いをされて、
当時の子どもの時のあたしは、
数多くの人と同じであろうとするものを抱いたんだと思う。
数多くの人とは違う事への罪の意識を抱いたんだと思う。
数多くの人とは違う事への恐れも抱いたのかな?
=
本当の自分に対する罪の意識を抱いたんだと思う。
本当の自分に対する恐れも抱いたのかな?
あたしが初めて伺った個人対面セッションでAliceさんから伝えて頂いた、
託児所での出来事で潜在意識で
「本当の自分ではいけない」って思い込んだ事は、
この数多くの人とは違う自分への罪の意識と恐れ?
=本当の自分への罪の意識と恐れ?で、
本当の自分ではいけないってものになったのかな?
そして、
数多くの人と同じであろうとするものを抱いたり、
数多くの人と同じであろうとしていた事がもう、
自分を苦しめて(自分を苦しませて)自分を罰していた。
ってふと思ったし、
当時、
「本当の自分ではいけない」って潜在意識で思い込んだ事自体がもう、自分を罰していた。
って思った。
どうしてあたしが子どもの頃、託児所の経営者らしき人から、
自分(自分達)とは違う事へのJや、恐れから、
悪くないのに悪者扱いをされたからといって、
当時の子どもの頃のあたしは、
数多くの人とは違う事への罪の意識=本当の自分への罪の意識を抱いて、
数多くの人と同じであろうとするものを抱いたり、
「本当の自分ではいけない」って当時潜在意識で思い込んで、
自分を罰していたんだろう?
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