始まり②
☆コチラ☆からの続き。
そして、
初めてAliceさんの個人対面セッションを受けてから何年か経った後、
あたしはそれまで見落としていた、ある事に気付いた。
それは大体どの職種でも、
あたしの仕事ができるレベルに「最初の頃は」上司から驚かれていた事。
飲み込みが早いとか、
最初からこんなに出来るとは思っていなかったのでとか、
自分が最初の頃はもっとこうで、
そういうふうには出来なかったって言われたり、
必ずと言ってもいい程、最初の頃は上司から驚かれていた。
だいたいどの職場でも最初の頃は上司から驚かれる→何日か経つと仕事が出来なくなる。
っていうパターンだった。
何年か前に可能性で思った事は、
これはまわりからのジェラシー(J)を、
あたしの潜在意識(無意識)の世界、空間の中ではしっかりと感じていて、
あたしの潜在意識(無意識)の世界、空間の中では、
意識的に本当の自分を出さないようにしていた、抑えていた、
自分の本当の実力を発揮しないようにしていた、
=本当の自分で居ないようにしていたんじゃないかって思った。
最初は可能性で思った事だけれど、いつの間にか感覚的に馴染んでた。
あたしは、まわりからのJを無意識で感じて、
まわりの何かしらのエゴの望みに応えていたんだと思う。
まわりからのJを感じて、本当の自分でいる事に罪の意識を感じて、
あたしは、本当の自分で居ないようにしていたのかもしれない。
この本当の自分で居る事に対する罪の意識は、
本当の自分で居る事をダメなように思ったり、
間違ってるように(悪いように)思っていた事なのかもしれない。
これが、
Aliceさんから個人対面セッションで伝えて頂いた、
「本当の自分ではいけない」ってものだったのかな?
あたしはジェラシー(J)を抱いた事もあるし、抱かれた事もある。
Jって「許せない」ってものだと思うし、
時に、
何も悪くない相手に、何故か腹がたったり(あたしが子どもの時、Jで怒りを感じた事がある。)
大なり中なり小なりの許せない気持ちになったり、
にくむ気持ちを抱いたり、
(にくまれた事もあるけど、
あたしが子どもの時に、Jでにくむような感じの気持ちを抱いた事もある)
Jがあると時に(時にじゃなくていつも?)、
何も悪くない相手をキズつけたり、
何も悪くない相手を、悪者扱いするような事を言ったり、
キズつける行為をしちゃったり、
何も悪くない相手を悪く思ったり、嫌う事がJだと思うんだけれど、
だからあたしが本当の自分でいられていなかったのは、
本当の自分でいる事で、まわりのエゴから嫌われたくなかった、にくまれたくなかった、
悪く思われたくなかったっていうのもあったのかもしれない。
でも本当の自分でいないようにしても、
周りの無意識の中からJが消える事なく、
嫌われてたんだなぁって今は思う。
あと職場のまわりにいた人の無意識の中で
、
新人のあたしの仕事が出来るレベルを、恐れられていたんだと思う。
Jから恐れが出てきていたのか、
恐れからJが出てきていたのかはわからないけれど。
でもある日、
Aliceさんのある「こえのブログ」の内容を聞いていた時、
Jも、恐れからきている事を知った。
あたしが思うに、
新人なのに飲み込みが早くて、仕事が出来る姿から、
上司やまわりにいた人達のエゴからしてみれば、
自分の立場が。とか、
そのうち抜かれる事への恐れを抱かれていたんだと思う。
=本当の自分を、まわりから恐れられていたんだと思う。
だからあたしの潜在意識(無意識)の世界、空間の中では、
本当の自分に対しての罪の意識以外にも、
本当の自分でいる事、出す事を恐れていた、
本当の自分を恐れていたんだと思う。
あと可能性として、
新人なのにあたしの仕事ができる姿から、
上司やまわりにいた人の無意識の中では、
自己価値、存在価値的なものが下がっていたのかもしれない。
あたしが新人なのに仕事ができても、
まわりの自己価値、存在価値が下がるものじゃないのに。
だからあたしは、
まわりの自己価値、存在価値がその人達の中で下がっちゃうから、
罪の意識で「本当の自分ではいけない」や、
本当の自分でいる事を悪く思ったり、
間違ってるように潜在意識(無意識)で思っていたのかな?どうなのかな?
そしてあたしが初めてお伺いした、
Aliceさんの個人対面セッションで伝えて頂いた、
「ミスしてそのミスを隠して、それがバレて責められて、
みんなから注目される事で、自分は認めてもらえる。」
ってあたしの潜在意識で思い込んでいた事に対して、あたしが思う事感じる事は、
見下される事で、自分は認めてもらえるってあたしの潜在意識では思っていたのかもしれないって思った。
職場でミスして、そのミスを隠してそれがバレて、
まわりにいた人は、
自分が上に立った、立てたような気持ちになって、
よくわからない優越感や、愛や光の種類の安心感ではなくて、
自分とあたしを比べる感じで、
自分(達)の何かしらの劣等感や、恐れを穴埋めしていたり、
上司から叱られていたあたしを見下す事によって、
まわりの人は、
エゴにとって都合が良いニセ安心、ニセ自信を得ていたんだと思う。
叱られていたあたしの姿以外でも、
仕事が上手く出来なかった事自体や、ミスをしていた事自体からも、
まわりのエゴは、
自分が上に立てたような優越感だったり、
ニセ安心を感じていたり、
頑張っても仕事ができなかったあたしを見下す事で、
自己価値、存在価値が上がったように感じていたのかもしれないと思った。
あたしは、まわりの何かしらのエゴの望みに応えていたんだと思う。
☆コチラ☆へと続く。
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